昭和50年02月08日 特別報修委員 案愛内は2月2日案内する。
途中から始まる
( ? )から電話がかかってきて、しきをしとります田中さんのお母さんからでした。それが田中さんのお導きで10日ほど前に、一晩泊りでお参りをしてきて、それに親子3人連れでありましたが。その人の事です、もう本当にあの芝居の様なあのう問題で、どうにも出来ない大体あのうなんちゅうですかね、山中不動尊の主人をする。する人です。もうお百度う踏んだりいろいろあのう修行しておるというて、いつかお話ししましたでしょう。だからそれをあのうやめなくてもいいよ。
というと例えばあなたが抑えとけばいいからと言う様なまぁ話でしたkとでした。あのう御主人との問題で子供が二人もおるのに三角関係で、しかもあのう姑親のお母さんは自分の味方と思うて、何もかにも話をしておったのが反対に筒抜けになっておって、その親戚のお父さんお母さんまでが、この頃別れさそうと言う様な事に、自分はまだ主人に対する愛情はある。ところがそのうそれこそ濡れ絹着せられるように、なんか稽古おいでられるように稽古しておられるそのう、男の先生とそのう関係がある。
言った様なそれこそ根も葉もない様な事で、そのう別れようと別れさせようとする、そういう事の中に、もう悩んで悩んで悩んだ挙句。( ? )に話される、それからあのう電話でお届けがありまして、それであのうお取次ぎをしてもらって、そういう事なら一遍あなた出て来なさってお願いをおなさるといいですよと言っとったら、すぐ明くる日あのう夜行で見えてそれからおかげを頂きました。それで大変あのう信心自分が頂いておる信心と、もう根本的に違うもんですから。
大変そのう感心してね有り難い信心として頂いて帰って、もうそれこそおかげの泉を読みふけって、そしてそのおかげの泉をね、あのう読んだのをテレビの下にこうやっていれて、ところがそれをそのうお父さんが読まれた。それから又お母さんが読まれた。又当の本人の御主人が読まれたらしい。もうその中からですもうそれこそ手の平を返す様に、親子その三人のいわゆる気持ちが変わってね。
もう本当に自分達の思い違いであった事をもうお詫びされる様にして。解決のおかげを頂いたというお礼のお電話でした。本当におかげを頂きましてね、例えば良いお話を聞いたから分かったからだけのおかげではなくて、私が皆さんに思い今朝からも申します様に、あのうおかげの泉と言うあの本は生きた本だということですね。日田の井口さんですかがお夢の中で頂かれておられるのが、もうそれこそあのう御霊様がおの本を読んであげて助かって行かれておる。
この頃桜井先生のところの遠い御親戚になる方が、もう以前に普通ではない死に方をなさった方があってね、その方がお夢の中に、大変縋って見えたお夢を頂かれた。それからお取次ぎを頂かれて、その御霊様にあのうおかげの泉を、繰り返しあのう読んで差し上げられたね。もうそれこそもうその周囲の襖やら、なにやらにもうおいさみがつきどうしだった。もうあのう御霊様が大変喜ばれて、助かる一つの手掛かりが出来たと言いうて、まぁ喜ばれた。
あのうお知らせを受けてね、言うならばあのう何というですかね、それこそ有り難い有り難いあのお経を読むのと理屈は同んなじ何ですよねおかげの泉。ですからあのうそれにやっぱ触れられなければいけないです、頂かなければいけないです。ですから御霊様が助かられるくらいそのう、日田の方のそれもそうです。御霊様のあのうお社のこう神様のお社とが、同んなじ箱の中に祀ってある。そこにこうおかげの泉がこう入れてあった。それだけで御霊様が大変な喜びを表されたと言うお知らせを受けてね。
それで昨日そのう今朝からもお参りして来とられました。その事のお届けがありましたが、もう本当にあのう霊にく共に助かられる。それはあれが言うならば生きた神様の働きであると同時に、神様の愛と心なのです。ですからおかげの泉をあぁして皆さんが、遠隔地の方達はそれだけでいわばおかげを頂いておるのですけれども。それと同んなじ言わばいや本当言うたら、もっと素晴らしいお話を皆さんは毎日頂いておられる訳です。私の説くところもう私の説くところ、もうそれを頂いてですね。
言うならばチンバが立ち上がって、盲くらが目が明いたりする程しの、おかげが頂けるほどしの内容を持ってるんです。問題いただけをです。ですからね私のおかげの泉だけじゃなくて、日頃頂いておる私共が。教えを本当にあのう生きた教えですから、こちらが生きた心で頂かなきゃいけない。おかげの泉にですら現れておる、そういう奇跡的なこりゃまぁそれをまぁお話しょるなら切りがないですけれども。今お電話でぽすとさせて頂いたその事からです。
その神様のお取次ぎの働きというものをそこに感じますね。そのようにもうもつれのもつれておるその問題がね、おかげの泉を読まれたところから解決のおかげになっておると言うのがね。私共の足元におる皆さんの場合なんか。もっともっとね有り難く頂く言うならば、親先生のお話と言うそのお話をもっともっと真剣にね。もう本気で頂いてしかもそれを行の上に現わし、生活の上に現わし。お互いの生活の現場でそれを現わして行こうと言うおかげになってこなければ生きた働きを呼びません。
でも一つおかげを頂いてね、ところが毎日毎日のお話ですから、皆さんがねやっぱり軽くみる訳でもなからなければ、甘く見るわけでもないでしょうけれども、頂く者の心の方がね少しそのう感度が、言うならば薄くなっておるのじゃないかと思います。今日おかげの泉によって一家の方達が助かって行かれようとしておるお話をまぁ聞いて頂いて、めいめいのところでまぁ一段とです、お繰り合わせを頂き中で、佐田さんが昨日あのう知り合いの方が白血病で入院しておられる。
おかげの泉を持って行って沢山それを読まれてね、本当に有り難い。生長の家の本もまぁ読まれるそうですけれども、おかげの泉の有り難さに触れられるようになったら、医者が魂がる様に血が増えてきたと言うお届けが先ほどありました。ですからこれなんかおかげの泉だぁけでおかげを受けておるわけです。頂き方が打ち込んで頂き方がね、出来なければいけないと言う事です、どうでも助からなければならんという頂き方が出来なきゃならんのですよね。
どうぞ。